初代iPhoneが登場したのは2007年のことですが、その2007年以前にもすでに米国内でスマートフォンは製造・流通していたことを知らない方も意外と多いのでは?
日本ではiPhoneの登場で「スマートフォン」が一般にも知られるようになりましたが、米国ではもともと「スマートフォン」といえば、「アルファベットのキーボードのある電話端末」でした。その代表格がPalm端末やBlackBerry端末です。つまりBlackBerryやPalm Treoなど「iPhone前夜のスマホ」は、PDAと境目が曖昧だった一面もあります。
では全盛期のPDA及び「iPhone前夜のスマホ」と、iPhone以後のスマートフォンには、どのような違いがあったのでしょうか? またPalmやBlackBerryは、なぜiPhoneになれなかったのでしょうか。2007年以前のPDA及びスマホ事情を振り返っていきましょう。
『Palm』はなぜ『iPhone』になれなかったのか?
iPhone前夜にも米国でスマートフォンと呼ばれる端末が流通していたことは、前述の通りです。その代表的な端末がBlackBerryとPalm Treoで、これらの端末は今日の視点から見ると、PDAとの境目がやや曖昧でもあります。
![『Palm』はなぜ『iPhone』になれなかったのか?1](/wp-content/uploads/2025/02/001-27.jpg)
とはいえ、BlackBerryとPalm Treoは市場を二分するほど人気の端末だったことも事実です。ではなぜこの両者はiPhoneにはなれなかったのでしょうか。
個人を対象とした魅力的な製品づくりとサービス設計の遅れ
PDAは主にスケジュール管理やメモ、アドレス帳などの個人情報管理に適しており、通信機能はオプション的な位置づけでした。そしてiPhone登場前夜のスマートフォンは「PDA的」であったのは間違いなく、その主役は前述の通りBlackBerryとPalmでした。
![個人を対象とした魅力的な製品作りとサービス設計の遅れ1](/wp-content/uploads/2025/02/002-27.jpg)
一方で、そのスケジュール管理やメモ、アドレス帳といった機能を主に利用するのはビジネスパーソン。BlackBerryは端末とOS、メール管理サービスなどを企業に対して一体で販売するビジネスモデルがあり、Palmはメールなどの利用を主体に販売を行っていました。
つまりiPhoneの登場以前のスマートフォンの販売の方向性は、端末販売だけでなく、企業を対象にして統合サービスでの売り上げをつくっていくという側面が存在していたということです。
この勝ち筋に良くも悪くも捕らわれていたのがBlackBerryとPalmであり、この両者をあえて比較すると法人営業に強みを持つBlackBerryの方が優勢でもありました。
こうした法人向けという争いとはまったく別の場所から登場し、なおかつアプリストアというまったく新たなマーケットを生み出したゲームの破壊者が「iPhone」だったと言えます。
PalmもBlackBerryもiPhoneになれなかった最大の理由は、iPhoneが登場するまで「個人の顧客向けに端末を販売する発想」自体が、ゼロではないものの希薄ではあったためでしょう。
要は「個人に向けた魅力的な端末づくり」が実は遅れており、iPhone発表によって一夜で市場がひっくり返ったといえるでしょう。
消費者に向けた『iPod』という訴求軸の有無
BlackBerryもPalmも個人向けにビジネスをしていなかったわけではないものの、iPhone前夜のスマートフォンを愛用していたのはギークであったこと自体は否めません。
そのうえで仮にBlackBerryやPalmを個人向けの製品として強く売り出す場合、00年代時点での初代iPhoneとの最も大きな差は『iPod』という訴求軸の有無です。
消費者に圧倒的に浸透していた『iPod』というフレーズを使わなかった場合、初代iPhoneですら熱狂的な受け入れられ方をしたかどうかは少し怪しいかもしれません。「分かりやすさ」を担保するフレーズとして、iPodが存在していた面があるためです。
![消費者に向けた『iPod』という訴求軸の有無1](/wp-content/uploads/2025/02/003-38.jpg)
まず初代iPodの発売は2001年。革命的なデジタル音楽プレイヤーとして、2007年時点ではすでに世界的に利用されていました。そして、2007年の初代iPhone発表会でスティーブ・ジョブズ氏は「本日、革命的な新製品を3つ発表します」としたうえで、「1つ目、ワイド画面タッチ操作の『iPod』。2つ目、『革命的携帯電話』。3つ目、『画期的ネット通信機器』。(中略)お分かりですね? 独立した3つの機器ではなく、ひとつなのです。名前は、iPhone」と説明しています。
つまり「iPodであり、携帯電話であり、インターネット通信機器である」という分かりやすい訴求を個人に向けて打ち出すことができたのがiPhoneです。
そうしてこうした魅力的かつ革新的な切り口を用意できず、法人向け端末及び一部のギークが楽しむデバイスに留まってしまったのがPalmとBlackBerryだったと言えます。
各社から様々なPalmデバイスが登場したことの功罪
Palmは、多くのハードウェアメーカーにPalm OSのライセンスを提供し、様々なPalmデバイスが市場に登場しました。これにより、Palm OSの普及は進みましたが、同時に製品の一貫性や品質管理の面で課題が生じました。
この状況は今日のAndroidに近いとも言えます。Android OSはオープンソースであり、様々な企業がOSに独自の機能追加やカスタマイズを行ったうえでそれぞれ端末に搭載しています。
つまりOSに大々的なアップデートがあったとしても、そのアップデートが実際にユーザーの手元に届くかは「それぞれの企業次第」です。極めて革新的な機能やUIを統一してユーザーに届けたい場合に、こうしたOS展開はデメリットになり得ます。
Appleは厳格にハードウェアとソフトウェアを管理し続けています。『iPhone』やそのOSを他社にライセンス付与し、商品展開することは一度もありません。
この違いが少なくとも00年代時点ではユーザー体験の質と製品の信頼性に大きな差をもたらし、最終的にiPhoneの成功につながったと言えるでしょう。
『Palm』と『BlackBerry』の競争について
なお、ここまで本稿では黎明期のスマホの象徴的な存在としてRIM BlackBerryと Palm Treoについて繰り返し言及しています。
この両者の攻防は、RIM社及びBlackBerryの栄枯盛衰を描いた映画『ブラックベリー』で比較的厚めに描写されています。PalmとBlackBerryの競争は激しく、PalmがRIM社の買収を試みる展開もあります。
![『Palm』と『Blackberry』の競争について1](/wp-content/uploads/2025/02/004-28.jpg)
こうした描写から読み取れるのは、PalmにとってBlackBerryはニッチな市場を奪い合うライバルであったということです。PalmとBlackBerryからすると、そもそもiPhoneの登場以前はスマホが大きな「個人向け」市場になると考えていなかった節すらあります。
実際、2006年当時はスマホのシェアがトップだったBlackBerry(当時RIM)でも、ユーザー数は世界に700万人だったものの、国単位で見ればアメリカの携帯加入者の3%ほど。「スマートフォン」が一般にも広く受け入れられるものだと予想するのは難しかったといえます。
スマホを個人ユーザーが一人一台所有する時代が来ると、iPhoneの登場以前に予測することは難しく、だからこそiPhoneは革命的なデバイスであったと言えます。
『Palm』はなぜ『iPhone』になれなかったのか、といえば「iPhone以前にはそもそも市場が存在していなかった」というのが答えなのかもしれません。
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