
音楽ストリーミングサービスで当たり前に目にするようになった「ロスレス」という言葉。なんとなく「音がいい」というイメージはあるものの、音にそれほどこだわりがない場合、「MP3と具体的に何が違うの?」「スマホで聴くぶんには変わらないんじゃない?」と感じている方も多いのではないでしょうか。
この記事では、そんな今更聞けない「ロスレス」と「MP3」の根本的な違いから、多くの人が利用する「外出先でスマホで聴く」というシーンに絞って、本当にロスレスは必要なのか、MP3で十分なのかを徹底的に掘り下げます。
そもそも「ロスレス」と「MP3」は何が違うのか?
音質の違いを理解するために、まずは音楽データがどのように扱われているかを知る必要があります。

MP3は「非可逆圧縮」または「lossy(ロッシー)圧縮」と呼ばれる方式です。これは、人間の耳には聞こえにくいとされる高い周波数の音などをデータから「間引く(削除する)」ことで、ファイルサイズを劇的に小さくする技術です。
一度MP3に圧縮されたデータは、元のCD音源に戻すことはできません。そのため、厳密にはオリジナル音源から音質は劣化していると言えます。

しかし、ファイルサイズをCDの約10分の1にまで小さくできるため、ストレージ容量が限られていた時代に、事実上の標準フォーマットとして爆発的に普及しました。
一方、ロスレスは「可逆圧縮」または「lossless(ロスレス)圧縮」という名のとおり、音質の損失(ロス)がない圧縮方式です。データを間引くのではなく、ZIPファイルのように元のデータを効率的に「折りたたむ」ことで、ファイルサイズを小さくします。代表的なフォーマットにはFLACが挙げられます。

ロスレスに対応している主要ストリーミングサービス
現在、多くの主要な音楽ストリーミングサービスが追加料金なしでロスレス音源を提供しています。

これまでロスレス音質を提供していなかったSpotifyも、2025年9月からSpotify Premiumでロスレス音質の提供を開始しています。ハイレゾ音質に対応しているのはApple Music、Amazon Music Unlimited、Tidalですが、Spotifyでも十分音質よく曲を聴けるようになったと言えるでしょう。
“出先で聴く”場合はMP3で十分と言われる理由
ロスレス音源は理論上、MP3よりも高音質です。しかし、「外出先でスマートフォンで聴く」という条件下では、その差を感じにくくなる、あるいはMP3の方が合理的とさえ言える理由がいくつか存在します。
ワイヤレスイヤホンの普及とBluetoothの「ボトルネック」

近年、イヤホン市場はワイヤレスが主流となっています。しかし、このBluetooth接続こそが、ロスレス音源の品質を損なう最初の「ボトルネック」になり得ます。
Bluetoothで音声を伝送する際には、データを一度圧縮し直す必要があり、この圧縮・変換方式を「コーデック」と呼びます。
コーデックにはさまざまな種類があります。すべてのBluetooth機器が対応する標準コーデック「SBC」と、Apple製品で標準的に使用される「AAC」が最も基本的ですが、Android端末では「aptX」「aptX Adaptive」「LDAC」などの高音質コーデックも広く採用されています。ただし、一般的なワイヤレスイヤホンでは、多くの製品がSBCとAACのみに対応しています。
・SBC: ほぼすべてのBluetooth機器が対応する標準的なコーデック。
・AAC: iPhoneなどのApple製品で標準採用されているコーデック。多くのAndroid端末も対応している。
重要なのは、SBCやAACといった一般的なコーデックでは、伝送時にMP3と同程度の非可逆圧縮が行われてしまうという点です。つまり、せっかくのロスレス音源も、Bluetoothイヤホンに届く頃にはデータが間引かれ、その真価が失われてしまうのです。
LDACやaptX HDなどの高音質コーデックに対応したスマートフォンとイヤホンを組み合わせれば、ロスレスに近い品質で楽しむことは可能です。しかし、それでも完全なロスレス伝送ではなく、またすべてのユーザーがその環境を整えているわけではありません。
スマートフォンとDACについて

ロスレス音源の品質を左右するもう一つの重要な要素が、再生機器に内蔵されている「DAC(Digital to Analog Converter)」です。
DACは、音楽データのようなデジタル信号を、イヤホンで聴くことができるアナログ信号に変換する心臓部とも言えるパーツです。
スマートフォンにも当然DACは内蔵されていますが、コストや省スペース、省電力などの制約から、必ずしも高性能なものが搭載されているとは限りません。
そのため、スマートフォンのUSBポートに接続できるスティック型の小型DACアンプ「ドングルDAC」の人気も高まっています。逆に言えば、これらの機器を使わずに一般的なスマートフォンだけでロスレス音源を再生した場合、その性能を十分に引き出せない可能性が高いでしょう。
ロスレスの真価は「再生環境」がすべて
ロスレス音源の魅力を最大限に引き出すには、単にロスレス対応のストリーミングサービスに加入するだけでは不十分です。
・優れたDAC(DAPやドングルDACを追加したスマホなど)
・有線接続の高品質なイヤホン・ヘッドホン、もしくはスピーカー
これらの「再生環境」が整って初めて、MP3との明確な違いを体感できると言えるでしょう。逆に言えば、一般的なスマートフォンと、SBCやAAC接続の安価なワイヤレスイヤホンという組み合わせであれば、ロスレスとMP3の音質差を聴き分けることは極めて困難です。
余談ですが、ハイレゾ音源にも共通する問題として「ワイヤレス化」と「高音質音源の提供」という、相反する技術トレンドが同時に進行しているのが、現在のオーディオ事情の特徴です。
多くの人が手軽さを求めてワイヤレス化へ向かう一方で、音楽業界はより高音質なロスレス・ハイレゾ音源の提供を進めています。この二つのトレンドは、必ずしも同じ方向を向いていません。
さらに、日本の住環境では、スピーカーで大音量で音楽を楽しむこと自体が難しく、ヘッドホンやイヤホンが主流です。そのヘッドホンですらワイヤレス化が急速に進んでいる現代において、ロスレスやハイレゾの真価を日常的に享受できるユーザーは、まだ一部のオーディオファンに限られているのが現状かもしれません。
手軽さと最高品質をいかに両立させ、より多くのリスナーに豊かな音楽体験を届けるか。それは、これからのオーディオ業界にとっての大きな課題と言えるでしょう。
※サムネイル画像(Image:Yalcin Sonat / Shutterstock.com)



