90年代~00年代に、日本のガラケーを利用しつつ『Blackberry』に代表されるiPhone以前のスマートフォンに触ったこともある方は多いのでは?
そしてガラケーと『Blackberry』の両方を利用したことがある場合、00年代当時「日本のガラケーはアメリカのスマートフォンよりも優れているのでは?」と感じた方も多いはず。
90年代~00年代の日本の携帯電話網と端末の品質は世界的に見ても非常に高いレベルで成熟していました。その代表格はやはり『iモード』でしょう。これらのサービスを仮に海外に輸出していた場合、iPhone登場以前のスマホ市場で日本の端末とネットワークが猛威を振るった可能性もあるでしょう。
では日本のガラケーはなぜ「iPhone登場以前のスマホ市場」に進出できなかったのでしょうか?詳しく見ていきましょう。
iPhone登場以前の「スマホ」について
そもそもiPhone登場以前のスマホ市場の記憶が薄れている方も中にはいるでしょう。
まずiPhone の登場以前、アメリカでは「スマートフォン」という言葉は、アルファベットのキーボードがある電話端末を指していました。Palm TreoやBlackBerryがその代表例です。これらの端末はアドレス帳やスケジュール管理、タスク管理など手帳代わりになる機能を持つ個人情報管理ツールとして利用されており、2025年現在から見るとPDA(Personal Digital Assistant)との境界線が曖昧な一面もあります。
このようなPDA的機能を主に利用するビジネスパーソンをターゲットに、BlackBerryは企業向けに、端末とOS、メール管理サービスなどを一体で販売していました。一方、Palmはメール機能を強みにした販売戦略をとっていました。

つまり、iPhone以前のスマートフォンは、端末販売だけでなく、企業向けの統合サービス販売モデルという側面が強く、メールサービスを主軸としていました。
ガラケーはなぜ「iPhone以前のスマホ市場」に進出できなかったのか?
先に述べた、アメリカにおける「PDA的な機能を主軸とした携帯電話サービス」に対して、90年代~00年代の日本の携帯電話網とインターネットサービスはよりリッチな体験をユーザーに提供していたと感じる方は多いでしょう。
iモードに象徴される90年代~00年代の日本の携帯電話は世界的に見ても類を見ない発展を遂げていました。そのガラケーはなぜ「iPhone以前のスマホ市場」へと進出できなかったのでしょうか?
「キャリア主導」による端末開発と海外展開の問題
まず1つの要因として挙げられるのは、日本の携帯電話市場は「キャリア主導型」の発展を遂げたことです。
日本の携帯電話市場では、通信キャリアが端末の仕様を決定し、開発費を負担していました。端末メーカーはキャリアの決定した仕様に沿って開発を行い、キャリアに納入していました。
一方、海外では主導権を握っていたのは端末メーカーです。ノキア、モトローラ、サムスンなどのメーカーは世界市場を相手にビジネスを展開。端末の仕様はメーカーが主導し、キャリアはSIMカードの販売をコントロールするという状況でした。
総じて日本のガラケーが海外進出できなかった理由としては「契約と端末の抱き合わせ」のせいで、端末メーカーが野心的な製品開発をできなかったという点がしばしば指摘されます。
もっとも、状況が少し違っていれば、日本のメーカーが00年代当時、ノキアやモトローラを上回る端末をリリースできた可能性も十分にあるでしょう。日本のキャリアの悪癖のように語られがちな「契約と端末の抱き合わせ」も、まだ00年代当時なら海外で受け入れられた可能性もあります。
一例ですが、たとえば『SIMロック』は実はヨーロッパ発の方式です。1993年にイギリスの後発キャリアが実施したのがSIMロックの発祥だと言われています。

つまり「契約と端末の抱き合わせ」自体は日本の通信業界の悪癖ではありますが、00年代に日本のガラケーが海外進出できなかった「唯一最大の要因」とまでは言えないのかもしれません。
技術規格の非互換性
「契約と端末の抱き合わせ」以外の大きな論点としては、技術規格の非互換性が挙げられます。
日本独自のPDC方式と、海外で主流のCDMA/GSM規格間には周波数帯・通信プロトコルに根本的な差異が存在していました。
まずPDCは、NTTの研究所で開発され、1991年に規格が制定されました。その後、1993年に、NTTドコモがPDC方式による携帯電話サービスを開始しています。
一方で2000年代の米国移動通信市場は「CDMA規格」が支配的で、日本のPDC方式とは根本的に互換性がありませんでした。NTTドコモのiモード端末は800MHz帯域に最適化されており、VerizonやSprintが運用する1900MHz帯のCDMAネットワークでは正常動作しなかったのです。
つまり日本のキャリアが自社の通信方式と端末を海外に輸出するとしても、まったく現地の規格と互換性がありませんでした。
日本と諸外国では、携帯電話の利用環境に大きな差があったわけではありません。それにも関わらず、日本はなぜPDCという独自の規格を採用してしまったのかというのは検証されるべき点ではあるでしょう。
かつての電話の世界では、国内だけの規格統一で問題ありませんでしたが、現代のITの世界では世界中で統一規格が普及していることが、サービスのスムーズな展開やグローバル対応の面で非常に重要です。
『iモード』に代表される携帯電話向けIP接続サービスの閉鎖性
日本のガラケーは、キャリア主導の閉じたエコシステムの中で開発されていた側面が強いです。
たとえば、日本を代表する携帯電話向けIP接続サービス『iモード』のサービスはNTTドコモのネットワークに依存しており、他国のキャリアに適用するには大幅な改修や端末そのものの特殊設計が必要でした。

90年代後半~00年代にかけて、iモード端末には『i』ロゴボタンが配置され、それを押すだけでiモードに接続できた。iモードの利用に慣れていない90年代~00年代の携帯電話利用者にとっては極めて分かりやすい設計である反面、携帯電話として見ると特殊設計端末であることも事実です。
仮にIP接続サービスを海外にゼロから輸出したとしても、ユーザー数がどの程度伸びるかは予測が難しく、さらに特殊設計端末であったことから製造コストもかさんでしまう。
良く言えば「メイド・イン・ジャパン」の高品質な携帯電話およびIP接続サービスだが、悪く言えばサービスの海外展開のハードルが高いものだったと言えるでしょう。
現地における「法人営業」
冒頭で解説の通り、iPhone以前のスマートフォンは企業向けの統合サービス販売モデルという側面が強く、法人利用を前提としたメールサービスなどを主軸にセット販売で展開していました。

日本のガラケー及び『iモード』に代表されるIP接続サービスが、Blackberry端末やPalm端末を上回る操作性や利便性を実現していたとしても、海外では「個人向けかつインターネット接続が可能な携帯電話」への需要は限定的でした。
そのため技術規格の非互換性に伴う技術的な対応や、端末製造そのもののコストに加え、現地での強力な法人営業体制も必要であったと考えられます。
ここまでに述べてきたさまざまな「ハードル」に加えて、現地での組織構築というハードルが加わると海外展開の難しさがやはり強く浮かび上がってきます。
とはいえ、それでも日本発のイノベーションであったガラケーおよび『iモード』が、技術規格の非互換性などの課題を乗り越え、世界に定着できる可能性はあったはずです。
仮に日本のキャリアが『iモード』に代表される日本のIP接続サービスやモバイルインターネットの技術を輸出する前提で、海外キャリアを00年代前半に買収。そして海外でも「契約と端末の抱き合わせ」へと本格的に乗り出しつつ、法人営業体制も構築していたら、また違う携帯電話の歴史が生まれていたかもしれません。
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