1990年代半ばまで、家庭用ゲーム機はソニーの「PlayStation(初代)」とセガの「SEGA SATURN」の2台が競っていました。現在、40代~50代のゲーム好きであればどちらか片方は持っていたでしょう。そこで今回は、「PlayStation(初代)」と「SEGA SATURN」それぞれの魅力を紹介していきます。あなたはどっち派ですか?
ソニー「PlayStation(初代)」ってどんなゲーム機だった?
まずは「PlayStation(初代)」(以降:PS)について紹介しましょう。
初代PSは、1994年12月3日にソニーから発売された家庭用ゲーム機。2025年現在は後継機としてPS5が発売されています。
PSシリーズは、今でこそ家庭用ゲーム機のなかでもトップクラスの人気を誇っていますが、実は、発売当時はセガ「SEGA SATURN」(以下SATURN)に販売実績で後れを取っていました。
その流れが変わったのは1996年。当時のスクウェア(現:スクウェア・エニックス)が参入し、『トバルNo.1』というゲームを発売。それには『ファイナルファンタジー(以降:FF)VII』の体験版が同梱されており、大きな話題となりました。
さらに、名作リズムゲーム『パラッパラッパー』、アクションゲーム『クラッシュ・バンディクー』などのヒット作も登場し、やがてSATURNを追い抜きます。
それ以降もギャルゲーの元祖『ときめきメモリアル』シリーズや『ドラゴンクエスト』(以降:ドラクエ)シリーズなどヒット作にも恵まれました。
2000年には2世代目の「PlayStation 2」が発売されましたが、最終的には全世界で1億0249万台という販売台数を記録しています(2005年・ソニー・コンピュータエンタテインメント(以降・SCE)(現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント)調べ)
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セガ「SEGA SATURN」ってどんなゲーム機だった?
SATURNはPSよりわずかに早く、1994年11月22日にセガ・エンタープライゼスから発売されました。
“SATURN”という名前は、セガが発売した家庭用ゲーム機の6番目ということで、太陽系第6惑星の「土星」から名付けられたと言われています。
ゲームセンターで大ヒットした『バーチャファイター』がローンチタイトルとして発売され、翌1995年には『デイトナUSA』や『レイヤーセクション』、『バーチャファイター2』といったゲームセンターの人気作の移植、あるいは『シャイニング・ウィズダム』『真・女神転生デビルサマナー』などのRPGも発売され、SATURNの販売台数は200万台を突破しました。
翌1996年も『Jリーグ プロサッカークラブをつくろう!』や『サクラ大戦』といったヒット作はあったもののPSに追い抜かれてしまい、1998年に後継機「ドリームキャスト」が発売されるとその役割を終えました。
最終的な販売台数は全世界で926万台(2000年・セガ・エンタープライゼス調べ)となっています。
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PSの魅力は二大RPG『FF』と『DQ』にアリ!
PSは発売当初、SATURNに後れを取っていましたが、その人気が逆転した最大の要因は『FF』シリーズの発売です。
それ以降、PSはゲーム機本体の販売台数の増加とともに多くのサードパーティが参入し、名作と言われるゲームが次々とリリースされました。
事実、PSで発売された総タイトルは全世界で7,300以上(SCE発表)と、当時のゲーム機のなかでも圧倒的。そのなかには、PSでしか遊べないゲームが多数ありました。そのような事情もあって、後発のPSが販売台数を大きく伸ばしていったのです。
【1】名作RPGが数多くリリースされた
ライバルのSATURNを追い越した最大の要因は、やはり『FF VII』の発売でしょう。これ以降、『FF VIII』『FF IX』など、FFシリーズはPSで発売されていきました。
また、2000年には『DQ VII』が登場していますし、その後『DQ VIII』もPSでリリースされています。
日本の二大RPGと言われている『FF』と『DQ』の両方がPSで発売されたうえ、今でも続くRPGシリーズの『ペルソナ』『幻想水滸伝』『テイルズ』などの登場もPSの人気に拍車をかけました。このように、PSは名作RPGの宝庫となったのです。

【2】PSは値下げ競争で4年後には本体価格が半額以下に!
PSが売れたのは、本体価格の大幅値下げも大きな要因です。
1994年12月3日にPS(SCPH-1000)が発売されたときの本体価格は3万9,800円でしたが、SATURNと値下げ競争の結果、1998年にはPS(SCPH-7500)が1万5,000円まで値下げされています。
さすがに半額以下まで本体価格が下がれば子どもでも買いやすくなりますし、本体が売れれば、当然ゲームタイトルも売れるという好循環を生み出しました。その結果、1990年代後半のゲーム機はPSのひとり勝ち状態になったのです。

【3】持ち運びできてゲームも遊べるポケステの発売
PSでセーブデータを保存するには「メモリーカード」が欠かせませんでした。そのメモリーカードにゲーム機能を付けたものが「ポケットステーション(以降:ポケステ)」です。
ポケステは、PS本体を使って対応ゲームのデータを送り込むと、ミニゲームで遊ぶことができました。さらには赤外線通信機能がついていて、ほかのポケステと通信することも可能となっています。
また、このポケステで遊べるミニゲームは、ゲーム内のデータを強化したり特別なアイテムをゲットできるようなものもありました。
そのようなポケステ対応ゲームで、もっとも有名なのは『どこでもいっしょ』でしょう。白いネコのようなキャラクター「井上トロ」を生み出したことでも有名ですね。
なお、このポケステは2002年7月の生産終了までに約490万台を出荷しています。当時のソニーは周辺機器にもかなり力を入れていました。

【4】高い3DCGの処理能力
PS発売当時は、ゲームCGがドット絵(2D)からポリゴン(3D)に移行する黎明期でした。そのため、ゲームメーカーもポリゴンを使った3Dグラフィックのゲームを多く開発していたのです。
実は、PSはSATURNよりも3D処理能力が高く、『リッジレーサー』のようなレースゲームや、『闘神伝』シリーズのような格闘ゲーム、さらには『FF VII』のようにRPGでもポリゴンが使われました。
こうした3Dグラフィックの進化により、PSでは2Dでしか表現できなかったゲームに立体化や奥深さを生み出すことになったのです。
