mucom(@mucom88)さんがXに投稿した一言が、かつてカセットテープ文化を経験した世代の心を打っている。

「これでカセットテープのラベルとか綺麗に仕上げた時の満足感って、当時凄かったんだよね」という一文とともに、投稿には「#絶滅メディア博物館」のハッシュタグが添えられていた。添付された写真には、使い込まれたラベル作成用のツールが映っており、当時を知る人々にとっては一気に記憶が蘇る内容だった。
この投稿は、単なる懐古ではなく、アナログ文化の中にあった“手仕事の喜び”を再確認させてくれるものである。
インスタントレタリングという道具
カセットテープのラベルを美しく整えるために、多くの人が使用していたのが「インスタントレタリング」である。これは、透明なシートに転写式のアルファベットや数字、記号が並べられており、上から定規やボールペンなどでこすって必要な文字を貼り付ける(転写する)という仕組みだった。
mucom(@mucom88)さんの投稿に写っているのも、まさにそのインスタントレタリングである。筆跡が乱れない、均一で整った文字を使える点で、手書きよりも洗練されたラベルが作れた。ただし、失敗すると一文字だけが斜めになったり、位置がずれたり、途中で切れてしまうこともあり、細心の注意が求められた。
今のようにパソコンで印字してシールを貼るような手軽さはなかったが、そのぶん完成したラベルには達成感があった。インスタントレタリングは、まさに“仕上げの道具”として活躍していた。
たかがラベル、されどラベル

当時、カセットテープに自分で曲を録音することは日常だった。ラジオから流れるお気に入りの楽曲をタイミングよく録音したり、レコードやCDから“マイベスト”を編集して友人に渡したり、いわゆる“ミックステープ”文化が根づいていた。
その中でラベルをどう仕上げるかは、単なるメモ以上の意味を持っていた。誰のために、どんな気持ちで選曲したか。それを言葉にせず伝える表現手段として、ラベルは存在していた。mucom(@mucom88)さんが語る「満足感」とは、そのプロセスすべてに対する報酬のようなものであったはずだ。
綺麗に書けた、うまくレタリングできた、曲順が美しく並んだ──そうした小さな達成の積み重ねが、カセットそのものに価値を与えていた。
失われゆくメディアが示す“手間の豊かさ”
投稿に添えられた「#絶滅メディア博物館」というハッシュタグは、消えゆくアナログ技術や道具へのオマージュとして用いられている。カセットテープ、VHS、MD、フロッピーなど、今では見かけなくなった媒体には、どれも独特の“操作感”や“儀式的な工程”があった。
スマホ一つで音楽を検索し、再生し、削除し、共有する時代では、そうした工程の多くが省略されている。便利になった一方で、過程を通じて得られていた充実感や記憶の深さは、相対的に薄れているようにも思える。
mucom(@mucom88)さんの投稿は、その省略された部分の価値を、静かに、しかし確かに思い出させてくれる。カセットのラベルを作るという行為は、音楽そのものへの敬意であり、自分の感性を表現する小さなアートでもあった。
記録ではなく記憶に残るメディア
完成したレタリングラベルのテープを手に取ると、それを作った日のことまで思い出される。どんな天気だったか、どんな気持ちだったか、録音したときに邪魔な声が入ってしまったか──そんな些細なエピソードまで記憶に刻まれているのは、やはり手間ひまをかけたからこそである。
mucom(@mucom88)さんの言う「満足感」は、単なる作業の完成度にとどまらず、その時間を通して感じた感情や集中、そして完成品への愛着すべてを含んだ言葉であるように思える。
カセットというメディアが絶滅しても、その価値や記憶が失われるわけではない。むしろ、こうした投稿によって、その文化は再び人々の中に息を吹き返していく。
これでカセットテープのラベルとか綺麗に仕上げた時の満足感って当時凄かったんだよね#絶滅メディア博物館 pic.twitter.com/pHUEBWUqfE
— MUCOM™ (@mucom88) July 14, 2025
※サムネイル画像(Image:「mucom(@mucom88)」さん提供)